<My Best Friend 後編>

篭ってしまって上手く聞こえなかったのか、そう言うと兄さんは困った様な驚いた様な表情をした。

「麻鈴?今、兄さん…て?無理だって言ってたのに…」
なんて聞いてくる。

麻鈴には兄さんの言ってる事が良く分からなかった。

兄さんは兄さんだし、麻鈴は間違った事は言ってないと思う。

悠也兄さんは麻鈴の大切な人で

麻鈴の目を綺麗で可愛いって言ってくれた、大好きな人。

「麻鈴、可笑しな事言った?」
そう聞き返すと兄さんは少し間を置いてゆっくりと首を振って笑ってくれた。

「いいや…そう、俺は麻鈴の知ってる兄さんだな」

「でしょ?♪」

「あぁ」

「あはっ、可笑しな兄さん♪」
麻鈴がそう言うと兄さんも「そうだな」と可笑しそうに笑っていた。

兄さんと話していると段々と意識がはっきりしてきた。

邪魔なマスクを取り外すとツンとした消毒液の匂いと一緒に金木犀の香りがした。

兄さんが傍に居る。

そう思うと笑顔が止まらなかった。

なんだかとっても懐かしい気分だった。

少し体を起こそうとして手をついたら左手首がズキリと痛んだ。

「麻鈴!大丈夫か?」
心配して兄さんが声を掛けてくれた。

びっくりして見てみると手首には包帯が巻かれていてちょっと血が滲んでる。

それを見て麻鈴は思い出した。

あの日帰ってからあった事。

お義父さんもお義母さんも弟ももういない事。

一緒に死のうとした事。

傷口が開いてしまったのか包帯が真新しい血でじわりと滲んできた。

「麻鈴!手首…」

「あぁ、うん…大丈夫だよ」

「でも血が…」

ズキッズキッとリズムを刻む様な熱さを帯びた手首を見ていたら一つ思い出した事があった。

「兄さん…」
麻鈴が声を掛けてるとやっぱり心配そうな顔をして兄さんは麻鈴の顔を見た。

「どうした?痛むのか?」
きっと何気なく麻鈴の手首を心配して兄さんが言った言葉は間違っていなかった。

今度は痛いのを我慢して麻鈴は上半身を起こした。

ちゃんと言いたかったから

「兄さん、ごめんね…?」
ペコリと頭を下げた。

「えっ?」
兄さんは何が起こったのか分からない様な顔をしていた。

「麻鈴ね、あの日…。みんなと一緒に死のうかと思ったの…」

「…」

「また、会おうねって約束したのに…麻鈴は約束を破ろうとした…」

「…」

「独りぼっちになるのが怖かったの、独りは辛いの…。もう飽きた…もう、嫌だ。もう…もう!独りは…」

「麻鈴!」
麻鈴の涙が瞳から落ちたのは涙が溢れたからじゃない。

ギュッと暖かくて優しい腕に抱き締められたからだった。

「もういい!もう、いいよ。思い出さなくていい…」

「だめ…ふっうく…だめ、だよ…まり…にぃさんとの…やくそく…」
兄さんの腕がきつく締まった。

「沢山悩んだよね?沢山迷ったよね?」
兄さんの言葉に麻鈴は何度も何度も頷いた。

「だったらもういいよ…傍に居てあげられなくて、ごめんね」
麻鈴が悪いのに兄さんはそう言ってくれた。

それから麻鈴は兄さんの腕の中でずっと泣いていた。

「傍にいてね?何処にも行かないでね?麻鈴とずっと一緒にいてね?」
って何度も何度もお願いした。

その間、兄さんはそんな麻鈴の我が侭に答えながら髪をずっと撫でてくれていた。

お母さんが小さな子供をなだめる様に、優しくずっと…

そして大人しくなった麻鈴の涙をそっと人差し指の甲で拭って最後に言った。

「ずっと麻鈴の傍にいるから、心配しないでいいよ」
それを聞いて麻鈴は知らない内に兄さんの腕の中で眠ってしまっていた。

どれ位寝ていたんだろう。

麻鈴は女の人の声で目を覚ました。

泣いてむくんでいた眼を擦って声のする方を見ると兄さんが看護婦さんと話していた。

と言うよりもちょっと怒られている様だった。

看護婦さんが麻鈴が起きたのに気付いて声を掛けてくれる。

「柏原さん?大丈夫?」
顔を覗きこまれたので麻鈴は反射的に左目を隠していた。

「あ、うん。大丈夫だよ♪」
麻鈴が笑顔でそう言うと看護婦さんは優しく微笑んで麻鈴の体を調べ始めた。

体温を測ったり、傷口の確認をしたり

看護婦さんが何かをメモして病室を出て行ってから兄さんに話しかけてみた。

「なんのお話し?」
麻鈴が聞くと兄さんは苦笑いしながら答えてくれた。

「麻鈴が起きたのに何で呼ばなかったのかって怒られてた」
肩を竦めて兄さんはそう言った。

「ごめんね…」

「いや、それはいいよ。怒られるのは慣れっこだから。麻鈴が無事だったから、それでいい」
兄さんの言葉は素直に嬉しかった。

「ありがと♪」
それからしばらくして先生が来て麻鈴の体の調子を調べるのだと言うので兄さんは外に出ていた。

今はちょっと血が足りてなくてフラフラするかも知れないけど手首の傷以外は問題ないと先生は言っていた。

すぐに退院出来るでしょうと付け加えて先生が出て行くと少しして兄さんが代わりに病室に戻ってきた。

「良かったな」

「うん、そうだね…」
浮かない顔の麻鈴を見て兄さんは不思議そうに首を傾げた。

「どうした」
さっきまでは嬉しかったり懐かしかったり、謝ろうって言う気持ちでいっぱいだったから気付かなかったけど

「兄さん、お仕事は…?」
って麻鈴は聞いた。

だって兄さんは東京でお仕事をしていて忙しい筈なのになんでここに居てくれるんだろう。

ちょっと嫌な予感がした。

やっぱりそうなのか兄さんは困った様な少し寂しい様な表情を浮かべた。

「仕事は辞めてきたよ、こっちに戻るつもりで戻ってきた」

「っ…」
それを聞いて麻鈴は少し辛くなった。

兄さんが麻鈴の為に戻ってきてくれたのは凄く嬉しい事だったけどその所為で兄さんはお仕事を辞めてしまった。

「麻鈴、迷惑かけてばかりだね…」
なんだか悔しくなってまた涙が零れそうだった。

「麻鈴が気にしなくていいよ、自分で決めた事だから」
兄さんが優しく言ってくれるので麻鈴はもっと悔しくなった。

どうして麻鈴はこんなに何も出来ないんだろう。

兄さんに迷惑ばかり掛けてしまうんだろう。

大切な人を困らせてしまうんだろう…

「兄さんは、夢を諦めちゃうの?」
悔しくて堪らないから麻鈴は聞いてみた。

兄さんは少し考えてから口を開いた。

「どうだろう、諦める事になってしまうのかな?」
その一言で嫌な気持ちが麻鈴の心を埋め尽くした。

「ダメだよ、そんなの!」
怒ったのは兄さんにじゃない。

兄さんの夢を奪った麻鈴自身に対してだった。

「え?」

「麻鈴なんかの為に、兄さんの夢を諦めちゃダメだよ。絶対!」
自分でもめちゃくちゃな事を言ってると思った。

戻ってきてくれて嬉しいのは麻鈴の本当の気持ちなのに。

「そんなの嫌だよ。兄さんが、夢を諦めるって言うなら…麻鈴が兄さんの夢を叶えてあげる」

「っ!?」

「兄さんが麻鈴の為に戻ってきてくれたのなら、麻鈴は兄さんに恩返しがしたい!」
その言葉に嘘は少しも混じってなかった。

せめて兄さんの為に何かのお手伝いがしたかった。

兄さんが傍に居てくれるなら兄さんの為に頑張りたかった。

「だから、諦めないで?麻鈴、頑張るから。兄さんがいっぱいいっぱい自慢出来る様な子になるから…ね?」

「麻鈴…」

「麻鈴にお手伝いさせて?」
麻鈴がそう言うと兄さんはやはり困った様な顔をしていた。

それもそうだよね。

麻鈴の為にお仕事を辞める決心をして戻ってきてくれたのに、その麻鈴が辞めないでって言ってるんだから。

困らない筈ない。

でも、麻鈴もここは譲れない。

大好きな兄さんがお仕事に復帰してくれるならなんでもしたい。

今度は兄さんを麻鈴が守ってあげたい。

兄さんの夢も、存在も…。

兄さんが返事をしてくれるまで麻鈴は兄さんをずっと見つめていた。

少しでも目を逸らしたらその間に断られてしまう様な気がしたから。

その思いが通じたのか兄さんは「参りました」と言う代わり肩をすくめてからちょっと笑った。

「麻鈴と一緒にまた頂点を目指すのも、いいかもね」
そう言ってくれた。

「ほんと?」

「勿論、諦めるには早すぎる。だって―」
そこまで言うと兄さんはクシャッと麻鈴の髪を撫でた。

「傍に、素質のある子がいるんだから」
と笑顔で言ってくれたのを麻鈴は一生忘れない。

「じゃあ、約束しよ?」

「約束?」

「うん♪」
麻鈴が笑って小指を差し出すと兄さんの暖かくて長くてちょっと太い小指絡んできた。

「絶対、一番になろうね♪」


麻鈴が退院してすぐ麻鈴は独り暮らしを始めた。

兄さんが麻鈴名義のお家を引き払う手続きをしてくれて麻鈴は兄さんの住むマンションの近くのマンションで暮らす事になった。

それからしばらくして麻鈴と兄さんは765の支所に所属する事になった。

人材不足も相まって兄さんは本社での実績と経験を買われて即答で採用、麻鈴もそんな兄さんの推薦もあって晴れて歌手の卵になった。

麻鈴と兄さんの第一歩は採用が決まったその日から始まった。

兄さんが一緒に居てくれれば麻鈴はどんなオーディションも負ける気がしなかった。

それもそうだ。

麻鈴は兄さんの事を誰よりも知っているし、兄さんも麻鈴の事を沢山知っている。

兄さんの指示はいつも的確で麻鈴がしたい事、しちゃいけない事をちゃんと分かってくれている。

数多のオファーからいつも麻鈴が出来そうなお仕事をチョイスしてオーディションを組んでくれる。

さすがは麻鈴の兄さんだ。

あの日から3ヶ月

すっかり冬の痛い位の冷たさと雪で真っ白のお化粧をした丘の上で麻鈴はいつもの様に歌の練習をして兄さんの待つ事務所に向かった。

事務所のドアを開けるとむあっと暖房の匂いが麻鈴の鼻をくすぐった。

「…ひきしっ!」
麻鈴がドアを開けて開口一番クシャミをすると兄さんが苦笑いを浮かべて歩いてきた。

「ん?まさか風邪ひいたんじゃないだろうな?」

「おはよー兄さん、大丈夫♪ちょっとブルッとしただけだから♪」
麻鈴は事務所に入ると兄さんの隣の椅子に腰掛けた。

「やっぱりこっちは雪が多いな」
兄さんが窓の傍に立って外の遠くを見ながらそう言ったので東京と比べてるのだと思った。

「向こうはあんまり降らないんでしょ?」

「あぁ、降っても積もらない事の方が多いらしい」

「ふーん、なんかちょっと寂しいねそれ。真っ白な雪がいっぱい積もると綺麗なのに」

「ま、何年か一度の方が有り難味があるんじゃないかな?」

「ん、それもそっか♪」
麻鈴は椅子をクルクル回してそう言った。

兄さんはお仕事がある。

でも麻鈴には無い…。

それでも麻鈴は事務所には必ず来て一緒に帰るのが日課だった。

お仕事があるかも知れないからって言うのは嘘で、本当は独りでお部屋に居たくないだけだった。

だって折角兄さんが居るのに来ない手は無い。

でもお仕事の邪魔は出来ないから麻鈴はいつも兄さんのコーヒーを淹れるのを自分のお仕事にしていた。

そんな風にして過ごす毎日はなんの変哲も無い事なのにとても楽しかった。

ピリリリリリリッ 

と鬱陶しい位の電子音が事務所に響いた。

「ん?俺か…」
兄さんは携帯電話を取り出して着信を確認していた。

そんな兄さんを見つめていると兄さんは麻鈴がそうしてる様に携帯電話を見つめている。

「出ないの?」
麻鈴が聞くと兄さんは「あぁ、出るよ」と言って小さく息を吸ってからパカリと携帯電話を開いた。

喋っている声は聞こえなかったけど兄さんは電話をしながらちょっと複雑な顔をしていた。

困った様な懐かしい様な、嬉しい様な寂しい様な。

時折優しそうな笑みを浮かべているので麻鈴はきっと知り合いなのだろうと思った。

でも麻鈴はなんだか少しもやもやした。

それと一緒に兄さんがあんな顔をして話すなんて一体誰なんだろうと興味が湧いた。

兄さんが携帯電話を耳と肩で挟んでパラパラと手帳を捲ったので今ならちょっと話しても平気かなって思って麻鈴は聞いてみた。

「お仕事?♪」
麻鈴が聞くと兄さんはそのままの姿勢で「違うよ」と答えてくれた。

「んー、そっか♪残念♪」
そう口では言っても麻鈴の胸の奥はなんだかざわざわと騒がしい。

むー、じゃあ誰なんだろう…気になる。

お仕事のいわゆる営業スマイルでもない。

あんなに自然でちょっと嬉しそうな笑顔は麻鈴に見せてくれるそれに似ている様な気がした。

「あっ!」
と思わず麻鈴が上げてしまった声に兄さんが驚いて振り向いた。

「ううん、なんでもない!」
そう言って麻鈴はチャリチャリと両手を振った。

もしかして…。

麻鈴だって子供じゃない。

麻鈴が知らない間に、東京にいた兄さんにそう言う人が居てもなんらおかしくない。

兄さんの大切な人がいてもおかしくない。

麻鈴しかいないと思う方がもっと不自然だ。

そう思うとちょっと寂しい感じがした。

電話を切った兄さんは麻鈴に向き直ってすまなそうに言った。

「ごめん、19時からちょっと用事が出来た」
「やっぱり」と麻鈴は心の中で思った。

「そっかー」

「今日だけ、一人で帰ってくれるか?」

「帰ってくるよね…?」
兄さんの言葉に返事もしないでなんでそんな事聞いたのかは麻鈴自身でも分からない。

でもどうしても聞いておかなきゃって思った。

「ん、あぁちゃんと帰るよ」

「大切な…人、なんだよね?」
麻鈴が聞くと兄さんは少し驚いた顔をしてた。

「…うん、そうだな。俺にとって大切な人…だな」

「そっか…」
悔しいって言う気持ちが無かった訳じゃない。

「じゃ、仕方ないね♪」
それでも兄さんがキチンと大切な人だって言うなら仕方ないかなって思う。

待ち合わせの時間が近くなると兄さんは外に出る準備を始めた。

一緒に事務所を出て兄さんが小さく手を上げた時、キュッと麻鈴の胸が痛んだ。

なんだかもう帰って来ないのかもしれないってそんな気がした。

「兄さん!」
麻鈴が呼ぶと兄さんは急いでいるのにちゃんと振り返ってくれた。

麻鈴は兄さんに駆け寄ってカチャリと指を鳴らす。

「どうした?」
と兄さんは不思議そうな顔で麻鈴を見つめていた。

「兄さん、これ兄さんにあげる。着けて?」
麻鈴が兄さんに渡したのはアーマーリングだ。

左手の薬指に着けていた、一番の麻鈴の宝物…

兄さんはそれを受け取ってちょっと驚いていた。

「これ、麻鈴の一番のお気に入りなんじゃないのか?」

「そうだよ。でも兄さんに着けて欲しい。麻鈴の代わりだと思って?」
麻鈴はこの時自分で自分を嫌な子だなって思った。

ヤキモチってきっとこう言うのを言うんだなって同時に思った。

兄さんは麻鈴からそのアーマーリングを受け取ると少し眺めてから麻鈴と同じ様に左手の薬指にはめてくれた。

「ありがとう、麻鈴」
そう言ってチャリッと左手を鳴らした。

「うん…先に帰ってるね」
麻鈴が俯いてそう言うとフワリと麻鈴の左目の視界が開けた。

次いで暖かい手が麻鈴の左頬に添えられた。

「俺にとっては麻鈴も大切な人だから、ちゃんと帰ってくる。心配しなくていいよ」
と兄さんはいつもの優しい笑顔を麻鈴にくれた。

なんだかずるい気がした。

我が侭を言って困らせたと思っていたけど兄さんにそんな顔をされたら麻鈴はもう兄さんの言う事を聞くしかない。

「じゃあ、行ってくるな!」

「うん、いってらっしゃい♪」
その日、結局麻鈴は独りでお部屋に帰ってきた。

でも不思議とその日は寂しくなかった。

それはきっと兄さんが帰って来てくれる事を麻鈴が望んでいたからじゃない。

兄さんが帰ってくる事を信じていたからだと思う。

きっと麻鈴の傍に…

その次の日

お昼過ぎに事務所に戻ってきた兄さんは麻鈴に昨日の事を話してくれた。

兄さんが東京に居る頃、兄さんと一緒にお仕事をしていた子が会いに来たんだって。

彼女には彼女の事情があってとても悩んでいたから相談に乗ったんだって。

その話しを聞いて麻鈴は凄いなって思った。

その子も兄さんも、お互いに信頼しあって悩んだら相談して、困ってたら話しを聞いてあげて。

そう言うのが少し羨ましかった。

勿論、麻鈴にとっても兄さんはおんなじ様な人だったけれど。


それから半年。

皆が夏休みに入るちょっと前。

麻鈴はようやくカバー曲を集めたアルバムを売り出せる事になった。

兄さんが付けてくれた「七色の小悪魔」って言うキャッチコピーには驚くのを通り越してちょっとゲンナリだったけど…。

それでも兄さんが考えてくれた物なら麻鈴はなんだって大歓迎だった。

「ん…しょっと」
背中のジッパーを鏡で確認しながら上げると起き上がる様に青い大きな鳥の刺繍が鏡に映った。

麻鈴の最近のお気に入りのドレスだ。

ピョンと前髪を一房摘まんでジェルで立てる。

「フフフフーフーン♪」
グロスを薄く塗って口紅を引いてまたグロスを上塗りすればツヤツヤリップの完成。

最後に前髪を下ろして真っ白なコンコルドで留める。

玄関で厚底ブーツの紐を締めて。

「ご飯、よし!水筒、持った!」
麻鈴はドアを開けた。

今日もよく晴れている。

そして、今日もあの丘はきっと気持ちのいい風が吹いている。

そう思って麻鈴は戸締りをすると駆け足でいつもの丘へと向かった。

麻鈴は頂上に着いて大木をポンポンと叩く。

「今日も元気だね♪」って挨拶代わりに。

いつもの様に風は出迎えてくれた。

チラチラと大木の葉っぱの隙間から遠慮がちに射すまだ薄暗い日の光。

見上げればまだきちんと太陽も昇っていないのに遠く遠い、高く高い空。

夏になってもここは変わらない。

麻鈴は左腕を曲げて右腕を高く上げてうんと伸ばした。

ぎゅぎゅぎゅぎゅっと肩と首の間に力が入る。

吸っても吸いきれない空気と夏草の香りが麻鈴の体に染み込んでいく様だった。

「「ふっ………あ〜、今日も風が気持ちいいなぁ♪」
最初はドレミの歌が麻鈴の日課。

喉慣らしも兼ねてドレミの歌で音程を測る調子を合わせる練習。

本番の歌はその後だ。

「ん〜良い調子♪んーんーあーあー」
歌い終えて麻鈴は喉を鳴らした。

調子の悪い日はドレミの歌で音程が合わせられなかったりもするから今日は好調だった。

次の曲は『Beyond the bounds』と『You were there』。

麻鈴の得意な曲でどっちもゲームの主題歌になっている。

原曲に近くも遠くもない程度に麻鈴の声で歌う。

「好調、好調♪」
どっちも気持ち良く歌えた。

いつかここで歌うようにうんと広いステージの上でもっと広い観客席に向けて歌いたい。

そんな事を考えていたら急に後ろから声がした。

何て言うか、麻鈴自身もどっからそんな声が出るのか分からない様な悲鳴を上げて木の後ろに隠れた。

恐る恐る木の陰から声のした方を覗いてみると、少し離れた所に髪の長い子が麻鈴の方を向いていた。

麻鈴と目が合うとその子は目を細めて小さく首を傾げて微笑んだ。

綺麗な人だなって麻鈴はその時素直にそう思った。

何でここに居るんだろう。どこから来たんだろう。綺麗だなぁ。髪長いなぁ。お洒落だなぁ。

とか勝手にそんな事が麻鈴の頭の浮かんできたかと思ったら居ても立ってもいられなくて麻鈴はその子の傍まで駆けていた。

会ったばかりなのにあれこれ色々聞いた気がする。

言葉で表すなら”運命の出会い”って言うのが一番しっくりくる感じがした。

まさか、これまで兄さんとしか会っていないこの丘でそれも女の子でお話しが出来るなんて思いもしなかった。

千早と名乗った子は凛とした少し掠れた控えめな声でここを思い出の場所なんだと言っていた。

長くて綺麗な髪が風になびいてそれを静かに梳くって耳を覗かせる仕草はCMに出てくるお姉さんみたいだった。

その姿があまりにもお淑やかで麻鈴は自分に無いものだらけの千早に興味津々だった。

話しを聞いていると千早も麻鈴と同じで東京で歌を歌う事を仕事にしてるんだと言う。

凄い偶然で何故だかとても嬉しかった。

仲良くなりたい。

その気持ちだけが逸っていた。

だから、千早が喉を痛めているのを知った時はちょっとショックだった。

千早はきっと麻鈴が話す事に付き合ってくれてたんだと思う。

喉が痛いはずなのに、麻鈴の事を気に掛けてくれて。

なんで解ってあげられなかったのかなって。

そんな痛い思いは、麻鈴も良く知ってるはずなのになって…

幾ら謝っても足りない気がした。

相手の気持ちを解ってあげられないんじゃきっと仲良くなんてなれないと思った。

それでも千早は笑って許してくれた。

友達がいるって言うのは毎日こう言う気分になるのかなってちょっと思った。

千早は同い年なのに、麻鈴よりもずっと大人でなんだかお姉さんが出来たみたいだった。

それからはしゃぎすぎてお腹の空いた麻鈴は千早と一緒にご飯を食べる事になった。

麻鈴が持ってたバスケットを片手に麻鈴の一日分だと言うと千早はちょっと驚いていた。

それから麻鈴を見てなんだか悔しそうな顔をしてた気がする。

ご飯を食べながらふっと千早が麻鈴のお友達の話し振って来た時はどうしようかと迷ってしまった。

麻鈴にはお友達なんて居ないし、居るのは兄さんだけで同じ位の歳の子とまともに話すのは千早が初めてだった。

「麻鈴は…お友達居ないんだ。だから…だから、いつも…独りなんだ」
最後は掠れてて聞こえなかったも知れない。

本当は隠そうかと思った。

隠してても、千早となら仲良くなれるんじゃないかなって思ってた。

でも、きっとそれは嘘なんだって。

嘘の友達なんだってすぐに解った。

結局麻鈴は千早には隠し事は出来なかったし、したくなかった。

いつかはきっと千早に知られてしまう。

その時、千早はどんな思いをするだろう?

麻鈴が同じ事をされたら…とっても辛いと思う。

だから、麻鈴は初めて自分から秘密を明かした。

今まで麻鈴はそう言う努力はしてこなかった。

その前に大抵の人は麻鈴の事を見て麻鈴を判断していた。

麻鈴はこれが最後のチャンスなんじゃないかなって思って勇気を出して千早と仲良くなろうって心に決めた。

そうは思っていても人に見られるのはやっぱり怖い。

千早の細くて長い指が麻鈴の前髪に触れた瞬間は本当に怖かった。

千早は怖いと言うかもしれない、麻鈴の事を嫌ってしまうかもしれない。

息はちっとも吸えないし、千早の目も怖くて見れないし

でも、千早と仲良くなりたいしもっとお話しもしたいから麻鈴は千早の言葉を待っていた。

麻鈴の目を見て千早は二度首を振った後

「綺麗な色ね」って言ってくれた。

兄さんと同じ様に優しく…

本当に嬉しかったのを覚えてる。

友達が出来た。

その言葉は麻鈴の胸の奥をぽわっとあったかくしてくれた。

その後、千早と少し話して明日デートをする約束をして麻鈴は一旦事務所に戻った。

「おはよー♪」
ドアを開けてニコニコ顔の麻鈴の顔を見て兄さんは言った。

「おはよう、麻鈴。なんか今日はやけに機嫌がいいな?いいことでもあったのか?」

「そう〜?へへ♪」
そう口では言っても麻鈴の顔は緩みっぱなしだ。

「顔に書いてある」
そう笑って言った兄さん腕を抱いて麻鈴は少し笑った。

「あのね、友達ができたんだ♪」
くふっと笑みがまた零れた。

「本当か!?」
と兄さんが物凄い驚いてくれたので麻鈴としては嬉しい限りだった。

麻鈴が大きく頷くと空いてる方の手で麻鈴の頭を撫でてくれた。

「良かったな、麻鈴」

「うん♪でね、兄さん」

「ん?」

「後2日間、お仕事入れないで…欲しいんだけど…」
麻鈴が首を短くして言うと兄さんはちょっと苦笑いだった。

小さな溜息を吐いて兄さんは短く「わかったよ」って言ってくれた。

「ありがとう♪実はもう、明日デートする予定だったんだー♪」
麻鈴が嬉しそうにそうやって言うと兄さんは

「デ、デート?」
と千早と全く同じ反応をした。

それから

「友達って男の子か?」
と繋げた。

「女の子だよ♪」
麻鈴の言葉に兄さんは凄く大きな溜息を吐いていた。

「女の子同士じゃデートしないの?」

「ん…んん?どうだろうな…?

「デートって遊びに行くんでしょ?」

「まぁ、そうだなぁ」

「お泊りとかもする?」

「するとは言いかねる位には言い切れなくも無い」
そこだけやけにハッキリと兄さんは良く解らない事を言った。

「じゃあ明日、その子がOKくれたら電話するね♪」

「うん、気をつけてな。楽しんできな」

「うん♪ありがと♪」
お部屋に帰ってからは麻鈴は眠るのが一苦労だった。

なんだかウキウキ、ワクワク、ドキドキ、そわそわがごっちゃになって気持ちが落ち着かない所為で
結局眠れたのは3時間位だった。

デート当日

麻鈴は水筒とお化粧落としの洗顔用品と二人分の食事の入った保温性の高いビニールのバッグを詰めた少し大きめのバッグを提げて出かけた。

千早とのデートは色んな発見があった。

千早がゴスロリとかうさ耳が結構似合う事。

千早が東京だけではなく実は全国的に有名な歌手だった事。

ファンに追いかけられる大変さと嬉しさ。

友達と喫茶店で談笑する楽しさ。

せっぱん と わりかん て言う言葉の意味。

お泊りの前のドキドキ感。

その日の一日はきっと12時間しかなかったんだと思う位あっという間だった。

兄さんがくれた優待割引を使って麻鈴は千早とちょっと大きなお部屋に泊まる事になった。

中はセミダブルのベッドが二つあって、ソファやテーブルもあるのにまだ余裕がある程大きなお部屋。

ルームサービスの中におっきなハニートーストが載ってたり、お風呂にはジャグジーって言う
お湯のマッサージ機みたいなのが付いていてそれだけでも遊園地に来たみたいだった。

千早に

「私と二人きりで居る時位、自分を隠すのは止めなさい」
って言われた時は思わず泣きそうだった。

怒られてるのになんだか嬉しくってちょっと変な感じだったけど…

千早は麻鈴の事を知ってて一緒に居てくれる。

あの時、隠さなくて良かった。

本当に良かった。

麻鈴はそんな風に想ってくれる千早が大好きだった。

麻鈴の髪を櫛で優しく梳いてくれて大事にされてるんだなって思えた。

初めてで難しかったけど千早の長くて綺麗な髪を触りながら、いつまでも一緒に居たいってそう思った。

それでも明日には千早は帰ってしまうのだと思うとやっぱり寂しい気持ちになってしまう。

少しでもその気持ちを和らげ様と思って麻鈴は千早の隣で寝る事にした。

千早の顔がすぐ目の前にある。

整ったシャープな輪郭、ちょっと切れ長で澄んだ瞳、それを守る長いまつげ、薄い唇の隙間から覗く真っ白な歯列

そのどれを見ても同じ女の子の麻鈴でもドキドキしてしまう。

ちょっと触りたいかも…

そんな事を思っていたらふっと千早のしなやかな手が伸びてきた。

反射的に目を瞑っていると前髪をちょっと引っ張られた。

恐る恐る瞼を開いてみると暗がりの中で千早が小さく笑った気がした。

千早は麻鈴の前髪弄って軽く梳くと麻鈴を励ましてくれた。

千早の声は少し冷たくて透き通った感じなのになんだかすごく優しくてとっても暖かい言葉だった。

麻鈴は泣き虫だったけど、こんなに嬉しくて涙を流したのは多分これが初めてだった。

初めての気分だった。

嬉しい事、楽しい事

辛い事、悲しい事

いっぱいにしたり、半分にしたり

麻鈴が言えば、こう言ってくれて

そう言った事に、麻鈴が返す。

打てば響く鐘の様な兄さんとのそれにも似た千早とのやりとり。

友情とか恋とか、どうやって言えば良いのか麻鈴は知らない。

でもきっと、こう言うのを ”愛” って言うんじゃないかな?

千早は沢山の”愛”を持って麻鈴と仲良くしてくれた。

だから初めて仲良くしてくれた友達に麻鈴は態度で示す事にした。

大好きって言う気持ちを行動で表すならどうすればいいんだろう?

「キス…しよう?」
と麻鈴が言った時、千早は本当に困った顔をしてた。

男の子と女の子がするものだって言うのは知ってたけど女の子同士でしちゃいけないって
言うのも麻鈴は聞いた事が無かった。

それに、この気持ちを表すのはそれが一番の様な気がした。

「大好き」
って言うこの唇をくっつけるんだから。

千早は最初は困ってて色々言ってたけど最後には分かってくれて言うとおりに目を閉じてくれた。

麻鈴はちょっと体をずらして千早に体ごと近づけた。

恥ずかしそうにきゅっと強めに目を閉じた千早は凄く可愛かった。

麻鈴が声を掛けると千早は頬を少し赤くして麻鈴を見つめた。

「千早…大好き」
と麻鈴は想いを言葉にした。

そしてそのまま千早にキスをした。

言葉にした想いが空気に溶けてしまわない内に…

千早の唇は麻鈴よりも薄かったけどとても柔らかくて暖かかった。

つやつやな唇、柔らかくて甘い香りのする肌、サラサラと指の間をすり抜ける長髪

ドキドキする気持ちと大好きって想いが麻鈴の中をいっぱいにした。


朝ごはんが腐ってないか心配だったけどまだ大丈夫だったみたい。

丘の上で出会った時みたいに麻鈴と千早は朝ごはんのサンドイッチを二人で食べた。

もうすぐお別れの時間がやってくる。

唐突じゃないのにあまりにも唐突な気がする。

もう行ってしまうのかって思うとリンゴのデザートもなんだかみずみずしさが感じられなかった。

千早が聴きたいと言ってくれた歌を麻鈴は約束通りに歌う事にした。

ちょっとだけ喉が渇いていたみたいで飲み物を通したら何時もみたいに安定してくれた。

いつもの様に気持ちのいい風が吹いていた。

いつもの丘でいつもの日と風を浴びていつもと違う別れの予感を感じながら麻鈴は歌った。

麻鈴が歌い終えて千早が飲み物を飲むと喉の包帯を取って喉を慣らし始めた時は戸惑いを隠せなかった。

歌ってはいけないと先生に言われているのに麻鈴の為に歌ってくれると千早は言った。

でも、それで酷くなってしまったら麻鈴はきっと後悔する。

それでも千早は

「偉そうな事を言っておいて潰れてしまう様な喉ならその程度なんだ」
って

「麻鈴に聴いて欲しい」
って言ってくれた。

麻鈴はもう何も言えなかった。

初めて聴いた千早の声音は麻鈴の想像を遥かに超えていた。

今までの話す声がどれだけ押さえ込んでいたのかがよーく解った気がした。

完璧に音程を捉えて音律を守り聴きやすい発声が歌詞とメロディを紡ぎ出す

凛としていて透き通った声は真っ直ぐ何処までも遠くを目指し空気を揺らす。

凄いという言葉しか麻鈴は思いつかなかった。

麻鈴とは歌い方の方向性が全く違う。

麻鈴が色んな歌を聞かせて楽しませる歌手なら千早は一曲の完成した歌を聞かせて楽しませる歌手。

ちょっと違う世界の人間の様に見えた。

その後、千早の歌の余韻を引きずりながら麻鈴はお見送りの為にホームまで来て千早の乗った電車を前にしていた。

友達だよね?って確認した麻鈴に千早は首を横に振った。

思わず漏れてしまった「え…」って言う言葉と一緒に麻鈴はどんなに情けない顔をしてたんだろう…。

去り際に千早は麻鈴を仲間だと言ってくれた。

友達を通り越した、同じ歌手を目指す仲間なんだって。

嬉しい言葉だったのに、もうすぐお別れなのかなって思ったらそっちの方が強くなってしまっていた。

麻鈴はこの時、心に決めた。

絶対に東京に行ってやるんだって。

千早に負けない位頑張って今度は麻鈴が東京に会いに行くんだって。

最後に約束って言う単語を使ったのは千早の為じゃない。

麻鈴自身がちゃんとその約束を守って東京に行く為。

それを千早に見てて貰う為。

扉が閉まった瞬間、溢れ出す涙を麻鈴は自分で止められなかった。

「わ・ら・っ・て」
って千早が行った気がした。

麻鈴が笑うと千早も優しく微笑んでくれた。

それでも、涙は止まらなかった。

兄さんは戻ってきていていつも麻鈴の傍に居てくれるから独りじゃないはずなのに

何故だろう?

千早と別れるのは何故こんなにも涙が溢れてしまうんだろう

「ま・た・ね」
と言った千早の顔が少し涙ぐんでいた様に見えたのは麻鈴が泣いていたから?

その時、麻鈴は

辛くて、哀しくて、怖くて、寂しくて

我慢しても涙は止まらなくて、頭の中はぐちゃぐちゃで

もう誰を、どうして追いかけているのかも解らなかった。

駅のホームが途切れて膝をついた時、麻鈴は何かを叫んでいた。

その時は、感情的になってたから何て言ったのか麻鈴も覚えてない。

ただそんな時だから、その時だからきっと麻鈴が叫んだのは…


「ちはやーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
全力で叫んで幼い子供の様に麻鈴は声を上げて泣いていた。

決壊した涙腺から溢れる涙をぐしぐしと乱暴に拭いながら。

「うっぅぅ…やだよぉ、せっかく…仲良くなれた…にぃ。あふ…ひうっ、やだ、寂しいよ…ぉ。ちはや…ちはやーーーーーーー!」
半狂乱になりながら麻鈴が二度目に千早の名前を呼んだ時、悠也がホームに飛び込んできた。

麻鈴から大体の時間を昨日の電話で聞いていた悠也は、麻鈴を迎えに駅に辿り着いたばかりだった。

「麻鈴!」
悠也が声を掛けても麻鈴はペタンと座り込んだまま声を上げて泣くばかりだった。

悠也が抱いて立たせると麻鈴の膝は擦り剥いていたのか真っ赤な血が流れていた。

立たされた麻鈴はふらりと悠也に寄り添ってギュッと服を掴んだ。

「兄さん…兄さん、車で来たんでしょ!?追いかけよ?千早、追いかけよ?」
麻鈴の言葉に悠也は眉根にしわを寄せて聞きなおした。

「千早?麻鈴、麻鈴の友達…って!?」

「今ならまだ間に合うでしょ!?ね?早く…千早、追いかけようよぉ…」
麻鈴の言葉を聞いて悠也の記憶に残るのは一人の女の子しかいなかった。

東京に居た頃、自分がプロデュースした歌姫。

「そうか…千早だったのか」
麻鈴の肩を抱いて悠也はもう見えなくなった線路の向こうをそっと見つめた。

「なんで?どうして?おかしいよ!おかしいよ…こんなに、こんなに寂しいなんて…」

「麻鈴…」

「絶対、おかしいよぉ…。ねぇ、兄さん教えてよぉ…麻鈴には、解らないよ…」
そう何度も何度も涙ながらに尋ねる麻鈴を悠也はギュッと抱き締めた。

「千早は…麻鈴に泣いて欲しいとは、言わなかっただろ?」
悠也になら解る。

千早が別れ際に麻鈴になんと言ったか。

「”わらって”って”またね”って…」
悠也を抱き締め返す様にして麻鈴は少し落ち着いたのか少し鼻をすすりながら呟く様に言った。

「なら、麻鈴はどうする?会いに行くってちゃんと約束したんだろ?」
その問いには麻鈴は鼻をぐすっと一つ鳴らして力強く頷いた。

「じゃあ頑張って千早に追いついて、麻鈴が東京に行く番だな!」
また麻鈴は「うん」と大きく頷いた。

麻鈴は涙を悠也に擦り付ける様にすると小さく呟いた。

力強く決心に満ちて

「絶対に会いに行く」


それから3ヶ月

紅葉も終わりを見せ始め木々はその葉を散らし始めた頃。

麻鈴は幾つものライヴをこなし、DVDやCDの数も着実に増えランクも順調に上がっていた。

悠也に呼ばれた麻鈴は指定された時間の30分前に事務所に着いた。

「おまたせ、兄さん♪」

「おはよう、麻鈴」

「ミーティングルームで会議だよ」

「はーい♪」
麻鈴と悠也が席に着いてしばらくするとミーティングルームドアが軽くノックされた。

「来たか」
悠也が小さくそう呟いたので麻鈴は襟元と姿勢を少し正した。

「待たせたか?」
事務所に招かれた客はそう尋ねた。

「いいや、15分前だね。早すぎる」
そう悠也は笑いながら言った。

「ま、ちょうどいいだろ?」

「まったく…」

「さっそくだが、その子が件の?」

「ああ、麻鈴だよ」

「あの!柏原 麻鈴です。よろしくお願いします!」

「そんなに畏まらなくても大丈夫だよ」

「それを、お前が言うのか」

「気にしないだろ?」

「…」

「あ、あの…」
チラリと麻鈴を見て客人は口を開いた。

「なるほど、いい目をしている」
それは隠していない麻鈴の左目を含めての言葉だった。

「じゃあ本題に入ろうか」

 SS寄り